ブログ35 9月の行事 重陽の節句②
ブログ35 9月の行事 重陽の節句②
今回も重陽の節句について、ご紹介して参りましょう。
前回「江戸時代には幕府が五節句を制定した」ということをお話ししましたが、この五節句の元になったのは、貴族が宮中で行っていた「厄除け」の行事でした。
天皇家の御紋は「菊」であることはよくご存じかと思いますが、この御紋に象徴されるように、菊は日本をイメージさせる代表的な花のひとつのように思われます。しかし、意外なことに、万葉集には菊を詠んだ歌が存在しないのです。それで、菊は奈良時代の終わり頃に大陸から渡来したのではないかと言われています。
これが平安時代になると、“枕草子”や“源氏物語”などにも描かれていますし、“古今和歌集”にも詠まれるようになります。このように、あっという間に日本人の中に受け入れられたようです。
さて、他のお節句で象徴される植物と同様に、菊も美しい花というだけでなく、薬効がある植物として珍重されました。
中国の“菊慈童伝説”には「無実の罪をきせられた美しい少年が山奥に幽閉された時、菊の露が流れてくる川の水を飲んで長寿を得た」(菊水伝説ともいう)と描かれています。
この故事の影響が大きいのでしょう、菊は不老長寿の源のめでたい花とされるようになったのです。それで、この薬効を存分に発揮させようとでもいうのでしょうか、重陽の節句には菊の花を浮かべた“菊酒”を飲み、菊の花を入れた“菊湯”に浸かり、菊の香を忍ばせた“菊枕”で寝たのだとか・・徹底していますね。
その中でも、雅(みやび)の極みとも言えるのが、女御(身分の高い女官)たちが始めた“菊被綿”(きくのきせわた)でしょう。
これは、前日の9月8日に菊の花に綿をかぶせて、翌朝、香りや露を含んだ綿で身を清めたり顔に押し当てたりして常若(とこわか=女性にとっては永遠の美)や不老長寿を願ったものだそうです。なんと贅沢なことでしょう。現代で言えば究極のアンチエイジングですね。
紫式部日記には次のような記述があります。
「紫式部が北の方(藤原道長の正妻)より菊被綿を頂戴し、感激と恐縮の心境を詠んだ歌
菊の花 若ゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆずらむ
(意味:菊の露はちょっと若返りたいくらいの気持ちで袖に触れさせて頂き、北の方様には千年の若さをお返し致したいです。私は菊の露の効用をほんの少しだけ頂きますが、千年続く若さは、北の方様にお返ししたいです)※菊の花は菊の「露」だという説もあります。
千年も若さが続く化粧水があったら、すごいことですね。
その他にも 紀友則の一首も菊の効用に触れています。
露ながら 折てかざさむ 菊の花 おいせぬ秋のひさしかるべく
(意味:菊の花を露が落ちないように折って髪飾りにしよう 長寿の秋が 長く続くように)
また、百人一首にある
心あてに 折らばや折らむ初霜の おきまどわせる 白菊の花
も、重陽の頃を歌ったようです。これによると、初霜も降りようかというわけですから、やはり旧暦の9月9日ですね。今の9月9日ではやはりピンと来ません。
奈良時代に渡来した菊は、日本人の美意識と努力で交配させ、進化させ、品種改良を重ねてきました。大輪の一本仕立ての菊や懸崖菊(けんがいぎく ※花や茎が根より下に垂れ下がり崖に咲いたような仕立てにしたもの)など、丹精込めた作り手の方たちの情熱が伝わります。可憐な小菊もすてきですが、どうしてもお仏壇やお墓に供える仏花のイメージが強いようで、これは残念なことだと思います。茶道や和服の世界では、菊は一年を通じて用いることができる、とても便利なお花でもあります。皆さんはどんな菊がお好きですか?
次回はお彼岸について書かせていただきます。
協会認定マナー講師 清水法子
15年程前に着物の着付けと同時に「和服和室を中心とした和の礼法」講師の資格を習得致しましたが、偏った知識だと感じ、子ども達の生活に密着した現代のマナーを知りたいと思い受講致しました。