中田宏前横浜市長にインタビュー 第3弾
中田宏前横浜市長にインタビュー 第3弾
田中
先生方が教えるというよりも社会が教えるということにするならよろしいのかと思いますが、子どもは身に付いても小学校で何も言われなくなるとタガが緩んでしなくなる。
子どもは、小さいうちに言われてできても小学校で言われなくなりますと、楽な方を選びますので、行わなくなることがあります。
中田宏先生
きわめて重要なテーマだと思う。日頃心掛けて、教育という事を論じて考えて行く必要があります。しかし、立ちはだかる壁は、道徳とマナーは繋がると思いますが、日本ではそれを決めていくのには非常に憶病な社会である。しかし道徳マナーに関してはどこまでが正しいのか、それが正しいのか、時代が変わっているのではないか、個人としての差があるのではないかとか、教育にそれを持ち込もうとすると価値観の統一、思想信条にまで入り込むのではないか、押し付けになるのではないかという話になります。しかし、我々も思想を統一しようということでなく、人が争いを避け心地よく暮らすために、その中で自由な思想があり、自由な振る舞いがある。逆に我々が社会の中で享受していくことが大事である。やや行き過ぎた先回りし過ぎた議論にならないように注意しながら、こういうことの重要性というものを発信していくことが政治の場面として必要であると思います。
田中
私どもは、常々マナーというのは、概ねの人がこうすると快適だと感じ、こうすると不快に感じるということをマナーとしている。また、相手によっても違うのだということも、また相手にとってどうかということが大切なのだと伝えています。
中田宏先生
そうですね。重要なことだと思います。大方の人が不快に思う、それを避けるためにするというひとつの考え方や所作がある。マナーなどについて議論をするときに、それは自由なのだから自由じゃないかとか、個性ではないかという意見がでてきます。しかし、自由主義は認めるが、勝手主義とは違います。自由は大切だが勝手主義ではないということです。それが、議論を持ち出す環境をなくしている。議論そのものをなくしていると思う。
田中
保護者の意識を変えていかなければ、本当は保護者の意識を変えていく必要があります。とりあえず、保護者の気持ちを変えていく、風潮を起こすことも重要、また流行で終わらせてはいけないと思うのですが、その点ではいかがでしょうか。
中田宏先生
短視眼的に、かつ目に見えるための評価がはびこっている。それは端的に言えば偏差値や学歴などの評価に慣れている。人としてのマナーが身についているということが数値に表れ評価できない。人材としてのコミュニケーションは、会話がうまくできることではない。むしろマナーが備わっている、礼儀やけじめができているということを総合点として単純に点数化すればよいのではないか。
今日的には、学力的なことより、総合点で言えばマナーなどが重要である。多くの人が感じているのであって、それをどうしたらわかるように見えるようにすれば良いのか、単純に流行らせるというのも違うと思います。
たとえば、どこかの高校が学校教育の中で、それをしっかりとしたマナーを身に付けていれば、どこの大学に行こうが社会に出ていこうが、その高校を出ているとしっかりとマナーが身に付いているという評価はあっても良いのではないかと思う。
第4弾に続きます。